Leben


by satsuki_ok

ローマ人への手紙 5章 1ー8節

ですから、信仰によって義と認められた私たちは、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和をもっています。
また、キリストによって、いま私たちの立っているこの恵みに信仰によって導きいれられた私たちは、神の栄光を望んで大いに喜んでいます。
そればかりでなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。
この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちのこころに注がれているからです。
私たちがまだ弱かったとき、キリストは定められた時に、不敬虔なもののために死んで下さいました。
正しい人のためにでも死ぬ人はほとんどありません。情け深い人のためには、進んで死ぬ人があるいはいるでしょう。
しかし、私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。


今夜示された御言葉はこれだった。
御言葉の深さに、打たれる。

ぼくは、こんなにダメダメでもクリスチャンであることをはばかりたくない。
主に会った時に、「あなたなんて知らない」と言われたくないから、ぼくは信仰の告白は避けたくないんだ。大好きな人に、「知らない」と言われたら、つらくないですか?
神様だってきっと愛した人に愛されたいはず。
だからキリスト教の神様は嫉妬深いしね、モーセの十戒みたいに、海を割ってしまうほど激しいよね(笑)
愛する民のために、罪をそのままにしておかない。
甘やかさないその厳しさも愛情がなければできないことだろうな。

それでいて、自由に選ばせるあたりが心憎いじゃないですか?
善も悪も選べるように、(金の斧?銀の斧?かよっ。)自由意志を奪わない。

ぼくはここで想った。
神様は「ロボット」が欲しい訳じゃないんだね。
「命令どおりに動くロボット」じゃないんだ。
愛した人に愛されたい。
こころから進んで愛されたい。

神様だってそうなんだろうな。

決して楽しいことばかりが世の中にある訳じゃない。
むしろ、つらく悲しいことの方が多い。
それでも、神様が耐えてきた以上に、強烈な片想いもないのだろうな。
裏切られる悲しみも、捨ておかれるつらさも、愛されない味気なさも、愛した人を失う痛みも神様が体験したことのないつらさはないんだね。

はりつけられたぼくの十字架。
ぼく自身一人さえきよめられやしないのに。。。
傲慢な心を砕きたい。。。
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by satsuki_ok | 2005-08-18 20:05 | パンの耳