Leben


by satsuki_ok

原罪

小難しいことはわからない。
ぼくは感じたままを書いているだけで、何も特別な学びをしたわけではない。
ただぼくが感じたことを書いている。

生まれて初めて聖書を手にしたとき、「これが「伝説の書物」なのか」と、感慨深い思いで満たされたことを覚えている。ぼくは旧家の父のもとでベタベタでコテコテな仏教の家で育っていたので、聖書と接する機会は大学にはいるまで皆無だった。そもそも大学を選んだ時点から、導きははじまっていたのだろうと、今はそうおもうのだけどもね。(ミッション系のカレッジだったので)

ご多分にもれず、ぼくは新訳聖書の方から読み始めようと試み、名前の羅列で挫折していた。キリスト教にほとんど無縁だと思っていたその頃ぼくは、「聖書」というものが、清いことしか書かれていないマニュアル的な本だと想っていたんだ。

ある時、何かのきっかけで、ぼくは旧約聖書を読み始めた。
そこに書かれている物語は、驚くほど人間くさいものだった。
最初の罪は「うそをつく」こと、エデンから追放された人間から生まれた最初の人間がおかした罪は「殺人」。ダビデに至っては不倫、ソロモンでハーレム、近親相姦に、レイプetc。。。アリとあらゆる人間の欲望がそこには書かれていた。

驚きの連続であった。
そこに神の手が伸びることが、不思議でならないほど、それは罪深い人間に対しての愛以外の何ものも感じられなかった。神の基準はわからないけれど、選ばれた人がイエスキリスト以前には、神の言葉を代弁していた。
しかし、処女であるマリアから産まれたイエスが十字架にかかり、復活した後は、人は自分自身と戦うようになったのだろうとぼくは感じた。
自分の中に根強くあるいわゆる「原罪」という存在に、どうしても目をやらずにはいられない。

なぜにぼくは「戦う」と感じるのかわからない。
ぼくは、幼い頃からぼく自身とは、相容れない存在を身近に感じていた。
ことある事にぼくを別の道へと誘い出そうとする存在を意識していた。
光の方へとまっすぐに素直に行くことを、遮る何かを感じていた。
それは、巧妙な「脅迫」を伴っており、抵抗することを強いるのだ。
おそらく、それをやっつけないことには、ぼくは前に進めない。

いまだに時折脳裏をかすめていく、「ささやき」の存在は、実に煩わしい。
イエス様ですら誘惑された「サタン」の存在。
聖書が真実であるとするならば、同時にそれは、敵の正体も認めることとなるのだ。
聖書に書かれていることが比喩でないとするならば、一般的に非科学的といわれるそれらの存在もまたあるということになる。
とすれば、何もそれは異端的なことでもなく、当たり前のことであるわけだ。
つまり、神が霊であるならば、霊の存在はあるということになる。
何も難しい論理ではない。

明と暗がぼくの中で明確に別れている。
そこにグレーの場所はない。
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by satsuki_ok | 2005-10-15 23:15 | パンの耳