こころのプリズム

とある指揮者の言葉
「私のイメージしている「雲の上を歩く」ということと、皆が同じイメージではない。
言葉を抽象的にすれば、それは共通した認識を持つ上で、もっとも危険性を含んでいる。
誰も雲の上を歩いたことはないのだから。」

いいかえれば、誰も同じ経験を持っているわけではないということで、共通したイメージを作り上げる上では、その経験こそが障害となる。
つまり、言葉の持つイメージは、千差万別と言うことになる。
こうして、個々に綴られる「ことば」たちは、書かれた瞬間からある意味では、偽造あるいはねつ造と言い換えられるかも知れないが、はじまることになる。

感じた瞬間がすべてであり、考えた瞬間がすべてであり、それを記録する段階では、既に過去のモノである。
できるだけ、情景を、心象を切り取れるだけの技術と言うモノも必要かも知れない。
しかし、あくまでも、それは「過去の瞬間」である。
「未来の瞬間」であるかも知れない。
書いている現在は、書いているのが現在という現象以上のものではないからだ。

雲の上を歩く
厳密に言うなれば、雲という存在をどう捕らえているかによって、歩くと言うことをどう捕らえるかによって、全く別なイメージが浮かんでくることになる。

たとえば、
今にも降り出しそうな雨雲=重いイメージ
引きずるように歩く=重苦しいイメージ

綿菓子のようにふんわりとした雲=かるいイメージ
飛ぶように歩く=明るく楽しいイメージ


今にも降り出しそうな雨雲の上を
私は引きずるような足取りでうつむき加減に歩いていた。
背中から照りつける太陽の日射しにふと目を上げると、
そこには目の覚めるような青空が広がっていた。
青空を見上げるうちに、私のこころはいつしか晴れわたり
足元の雲がふわふわと足を支えていた
軽やかになった私は飛ぶようにその上を滑るように歩いた。

心象風景と現象を組み合わせてみると、そんな風に変化する。

雲も空も変わらないけれど、人が感じるこころによって
大きく歪んでしまうモノだから、それがこころのプリズムなのかな。
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by satsuki_ok | 2006-02-05 20:44 | ジジのひとりごと