建国記念日の老技師との語らい

戦時中、満州で私は中国人に助けられた。
義勇軍の一員として出征していた時のことだった。
彼は、見ず知らずの行き倒れていた私をおぶって、家まで運んでくれた。
当時は日給が20円程度であったが、一升の米の値段は70円程度だった。
彼は「この子は日本人だから、米でなければいけないだろう」と言って、
惜しげもなく私が回復するまでのほぼ1ヶ月間、毎日米の飯を食べさせてくれた。
戦争が終結し、私が日本に帰る時、往復の旅費として、2千円を持たせてくれた。
「もしも、日本に帰っても、アメリカ人に殺されそうな危険が迫ったら、
帰ってこられるように」
こう言って彼は、私に手渡してくれた。

日本に帰ってから、懸命に働き、落ち着いた頃、彼を訪ね歩いたが、すでに亡くなってしまっていた。
返すことができない恩義を、私は誰彼問わず、お返ししたいと、そう思ってこの仕事を60年続けて生きてきた。
そう言って、かくしゃくとした老紳士はぼくに笑いかけた。

偶然の出会い。

彼と一人の中国人の出会いが、半世紀ほど過ぎた頃、
ぼくの元に届けられた過去の事実。
清々しい驚きに満たされた祝日。

こんな隣人にぼくはなれるだろうか。。。

生かされている毎日。。。胸に響いた。。。80歳を過ぎた老紳士の言葉。。
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by satsuki_ok | 2006-02-11 19:25 | ジジのひとりごと