Leben


by satsuki_ok

エピソード1


「貴方とは別れようと思います。」と静かに女は語りはじめた。
顔には、男に殴られた痣がまだ痛々しく残っている。
女から決意を秘めた気迫を感じて、男はじっと座り込んだままだ。

男の浮気は、今度が初めてのことではなかった。
家業の店の仕事もそこそこに、男はあちらこちらの女と酒を飲み、遊び歩いていた。

女がまだ置屋で働いていた頃、見初められて水揚げした旦那が亡くなる時、男に言った。
「しあわせにしてやるなら、お前に譲ろう」とそう言われて、
その旦那の目の前で土下座して誓いを立てて、プロポーズした男。
子どもが生まれた時、当時ではまだ珍しく、出産に立ち会って手をずっと握りしめていた男。
それが目の前で座っている男だ。

子どもが生まれてまもなく産後のひだちが悪く、入退院を繰り替えしていた。
やっと退院し、わが子との再会を心から歓び、
わが子を自分の手で世話できる幸せを噛みしめていた時だった。
飲み歩いたあげく、正体がわからなくなっていた男は、
女にいきなり罵声を浴びせたかと思うと、わが子に向けて包丁を投げつけた。
幸い子どもの頬を少しかすめた程度で、大事には至らなかったものの、
ホッとしたと同時に、女の中で何かが音を立ててぷっつりと切れた。

それから男の酔いが醒めた頃を見計らって、女は静かに語りはじめたのだった。
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by satsuki_ok | 2006-10-01 21:08 | 短編