Leben


by satsuki_ok

子豚とおじいさん

「身体が続く限り、この仕事は続けます。」
電話の向こうで、目が見えなくなっているその人の奥さんは言った。
その人は昭和30年からこの仕事を続けている。
子豚が生まれると毎晩2時間おきに子豚の部屋の温度管理や様子をみに豚舎まで出かけて。
幾度となくやめようと思いながら、今日の日まで豚と共に過ごしてきた。
目を患い体調を崩した彼には、いまさら他の仕事など思いつくわけもなく、じり貧の生活の中で、黙って内職をしている妻の姿を見ないようにするほかに、つらさを忘れることができる場所は、子豚たちのそばしかなかった。
奥さんは何度も何度も主人にやめるように言ってきたけれど、今ではあきらめとともに彼の生きがいとなっている唯一の仕事を取り上げることはできなかった。
何十年という月日の重さがその一言に凝縮されていた。
後継者もいないその場所でいまさら規模拡大もないだろう。
私は黙ってうなずきながら話を聞いていた。

彼は見えにくい眼をこすりながら、一生懸命子豚の話をしてくれる。
また来るからね、元気でいてくださいよと声をかけて、立ち去ろうとすると、ずっと見えなくなるまで見送ってくれた。


もう年だからとやめていった鶏の農家さんが言った。
「仕事は楽しんでしたほうがいい。そうしてまじめにしていたら必ずいいことがあるからね」と、お別れのときに激励の言葉をくれた。
右も左もわからないでいた新人だった私を育ててくれた人だった。
若い頃画家を目指していたけれど、母親が病気になった時に、家業を継ぐためにきっぱりと縁を切るために泣きながら絵筆を折った人だった。
母親が亡くなり何十年かたった時、箪笥の荷物の整理をしていたら、包み紙を見つけた。
そこには何重にも丁寧にくるまれたあの時折られた絵筆があったそうだ。
それを見つけた時、迷わず再び絵筆を握ったと、美しい風景画を見せてもらった。


日本は昔そういう国だった。
そういう美しさがあふれる国だった。
今を否定するわけじゃないけれど、時々そうした出来事に触れる度、何か大切なことを忘れているような気がしてしまう。
合理的でない出来事の中に、もしかしたら埋もれてしまっているものがあるのかもしれないと。
心に生き続ける人たちがいる。
そういう人がまだまだたくさんいるんだ。
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by satsuki_ok | 2007-09-20 23:38 | ジジのひとりごと