カテゴリ:パンの耳( 52 )

一生のうちの3回

誰にでも一生のうちに少なくとも3回は、
人生を見直すチャンスが与えられるという。

それでも多くの場合、そのチャンスを気がつくことなく、
今までどおりのライフスタイル、考え方を選んでしまいがちなそうだ。

いつでもやるべきことを全力で当たることも大事だろう。
しかし、時には立ち止まって、ゆっくりと自分を見つめなおす。
そんな時間もまたチャンスの一つなのだろうとおもう。

願わくば、人として恥じることない、そんな生き方を選びたい。

自分は弱いけれど、何も持ってはいないけれど、
たった一つだけでも、そんな生き方を神様に捧げられたらいいのに。

何も持たずにこの世に生を受け、多くの人に支えられて今日まで生きてこられた。
その感謝のしるしとして、残りの人生を生きていけたらと、そう思う。

願わくば、たった一人でも生きていけるそんな強さがほしい。
そうして得られた強さを、武器にするのではなく、
与え続ける人になれたらと。

誰にも覚えていられなくても、神様に覚えられるように。
誰にも知られなくても、神様に知られるように。
情けない自分も、受け入れながら
笑顔を作っていけたらいいのに。

とうさん、かあさん、あなたが教えてくれた愛を支えに
踏ん張って生きていけたらいい。
誰にわかってもらえなくても
私の心にあなた方は誇りです。
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by satsuki_ok | 2007-09-09 23:29 | パンの耳

夢を見た

夢を見ました。
満天の星空、天の川の中、
ほんのちいさな星くずさえも
せいいっぱいに輝いている、
そんな星しか見えない空でした。

私は隣にいる誰かに向かって
「きれいですね、こんなに小さな星までも」
と語りかけていました。
黙って頷くだけの人だったけれど、
心の中に語りかけてくる言葉がありました。
「大きさはその星の輝きに関係がない」と。
誰だかわからないその人は、
いつも自分のそばにいて
私のことを良く知っているようでした。
それはなんとも言えない安らぎの中で
心のどこも痛むことのない
とてもしあわせな時間でした。

昨夜、そんな夢を見ました。
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by satsuki_ok | 2006-10-22 13:01 | パンの耳

マザーテレサの心

マザーテレサの心~心理学総合案内・こころの散歩道~

<以下 一部抜粋>
精神分析で有名なフロイトは、その晩年に「人間にとって健康とは?」と質問され、
「愛することと働くこと」と答えています。
健康な状態とは、誰かを愛すること、つまり誰かを信頼し、必要とすること。
そして、働くこと、つまり誰かに必要とされることだと言うわけです。

<聖書とマザーテレサからのメッセージ>

「西欧で、今日最も重い病気は、人々が互いに求めあわず、
愛しあわず、互いに心配しないという病です。
この病を治すことができるのは、ただ一つ、愛だけです。」

「神がいかにあなたを愛しているかを知ったとき、
あなたははじめて、愛を周りに放つことがことができます。」

「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ.」マタイ22-39

「神は愛である」第一ヨハネ4-8

「わたし(神)の目には,あなたは高価で尊い.わたしはあなたを愛している.」イザヤ43-4


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by satsuki_ok | 2006-10-15 19:56 | パンの耳

いのちの鼓動



誰かが見て恥ずかしいと想う生き方でも
誰からも受け入れられないような時でも
いつもイエスキリストはそばにいる

シャウトするように祈ってみる
囁くように祈ってみる
抱きしめてみる言葉

頭で考えるより先に
魂が導く咆哮

叫べ
叫べ
心のままに
踊れ
踊れ
リズムのままに

そうして静まった時
湧き上がってくる想い
その時に聞こえてくる声
せいいっぱい生きたいという
いのちの鼓動
自分のための人生

足ることを知りつつ
感謝する心
生きている喜びは
そうしてあなたに出会えたこと
こうしてあなたに語りかけることができること

そんなに思い詰めたりしないでも
ちょっと視点を変えてみれば
たった一歩を踏みだしてみたら
出会えること

ほらね
澄ました顔のあの人も
しかめっ面なこの人も
ヘラヘラしているあの人だって
ひと皮むけばみんな同じ
恥ずかしくない生き方なんて
神さま以外にできないさ

責めるより許していくこと
戦うよりも祈ること
目先のことだけ想わずに
主にいのちを預けてみれば
希望が最期に残ること
耐えられないような試練は神さまは与えないってこと
そうした神さまとの信頼の中で生き続けていく時
本当の安らぎが訪れるってこと



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by satsuki_ok | 2006-10-15 09:11 | パンの耳

ヨハネの手紙を読んで


御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。
(ヨハネの手紙第1章7節から)

洗礼を受けたのだから、
一瞬にしてその時までの過去の全てが精算されて、
その後まったく罪をおかさないで済むようになる。。
そんな誤解がキリスト教の洗礼に対してあるような気がする。

キリスト者は、罪があるからキリスト者である。
いや、罪を知っているからこそ、キリスト者である。
そして、罪を日々悔い改めるから、キリスト者であるのだ。
多くの人の場合、神懸かり的な「変化」が訪れるわけではなく、
それは継続していくことにより、少しずつ削られながら、
服に付いたシミを落とす作業のように、地道な根気のいる作業である。
あるいは黄ばんだ白い服を漂白していく作業。

知らず知らずのうちに「打算」や「妥協」し、
心の中が薄汚れていく。
激しい憎悪で赤黒く焼けこげた跡かも知れない。
生地によっては、漂白できない種類があるように、
人の心はさらに複雑でデリケートな取り扱いが必要となる。

それは、人にできる作業ではない。
人をつくられた神にしかできない作業である。
ただ私たちはそれを目にして、あるいは触れることによって、
その偉大な御技をする神に感謝するのである。

今、間違った道を歩んでいたとしても、そのことで「罪を知る」ことができるなら、
それは死に至る罪ではなく、かえっていのちへ続く門前にいるのかも知れない。
罪を罪として認めた時、そうしてそれを悔いた時、
はじめて主の尊さ、きよさが実感できるというキリスト者の真実。

ふがいない自分への言い訳。。。かな。。。(苦笑)
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by satsuki_ok | 2006-10-01 13:58 | パンの耳
人は食べるために働く
生きるために食べる
生きるのは愛するため

愛がなければ
生きていけない

だから
キリストの神は愛なのだろうか
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by satsuki_ok | 2006-09-23 19:30 | パンの耳

それでも祈る

祈りが信じられない
自分が安定しない
愛なんていったいどこに隠れているんだ
自分の心の中をえぐってみても
かきだしてみても
かけらも出てこない

どこまでいっても自分勝手
誰にあってもエゴイストなまま

自分を愛せないから
親も他人も愛せない
そんな気がしてしまう秋の夜

それでも
今夜ぼくは祈るのだろう

実践の伴わない自分自身を責めながら
行動の伴わない自分自身をあきらめながら
変わっていかない何かに憤りを感じながら
むしろ変わってしまった何かを憎むように

それでもぼくは今夜祈るのだろう

持ちきれないほどの
抱えきれないほどの
想いをしぼりだすように

それでも今夜
ぼくは主に祈るのだ
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by satsuki_ok | 2006-09-18 21:49 | パンの耳

時計の針の巡るのを
忘れるくらいに見送って
心の中を見つめ続けているようで
何も見えてはいなかった
からみついた藻に被われて
心の中が見えなくなった

透きとおる澄んだ水では
魚も住めぬ
落ち葉舞い降り
微生物とともに
腐葉土が流れ込む

生きている
生きていく

分解し続けながら
消化しながら

ただの分子になったなら
また一から始められるのだろうか
澄んだ水へと回帰できるだろうか

曲線の波
直線の角

御心は人から離れてあるのでなく
人の中にあるのだと
汚泥を浄化するフィルターのように
ぼくの心を濾過して欲しい

とめどなく流れ来る世の穢れ
魂が唸る、うめく
もがきながら
もだえながら
すり抜けていきたい

しびれるほどの冷たさの中で
喉元に甘さを感じる水が欲しい
まじりけのない御言葉が欲しい


目に見える望みは、望みではありません。
(ローマ人への手紙 第8章 24節)

死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、
今あるものも、後に来るものも、力ある者も、
高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、
私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、
私たちを引き離すことはできません。
(ローマ人への手紙  第8章 38-39節)

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by satsuki_ok | 2006-09-08 23:24 | パンの耳

クリスチャンの割合

日本の総人口のうちの約6%がクリスチャンだという記事を見た。
私が知っていた頃は、確か1割はいたはずだった。
あれから、数年経った今、日本のクリスチャンの割合は半減している。

最近とみに多い「エロ」関係のえせ牧師事件も無関係ではないかも知れない。
けれど、なぜにこれほどたった数年で減ってしまったのか?
おそらく他の仏教などでは考えられない数値かも知れない。
もしかしたら、仏教も減って、新興宗教か、無宗教が増加しているのかも知れない。

この状態から、唯物的な思想背景が浮かび上がってくる気がする。
得体の知れないものへの畏敬の念すら、なくなってきているのかも知れない。

危機的な状態とすら気づくことすらなく、
おそらく、ただ日々をこなして行くであろう社会全体。
その流れは止めることはできないだろう。

しかし、自分自身は失いたくないと、やはり強く想ってしまう。
セキセイインコが愛情を敏感に感じ取るように
自分自身のこころへ愛情を向けなくなったら
すでにこころは死んでいるのだろうか。

悲しみも喜びも自分のためでなく
他者のためにある時
人は生きることの意味を知るのだろうか。

私はこの世の中にあって
愛情を示していくことができるのだろうか。
クリスチャンであると言えるのだろうか。
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by satsuki_ok | 2006-08-27 20:18 | パンの耳

嘆きの壁

美しい世界も、醜い世界も、現実には混沌として存在している。
光の強い場所には、群がってくる影の存在もまた強くなる。
混じり合ったカオスの存在が人ならば、受け入れるしか道はないのか。
突き放して、引き寄せて、立っている場所すら確認できない無重力な空間。

キリスト教で教えられていながら、
仏教で教えられていながら、
娼婦も同性愛もなくならない。
暴力も虐待も戦争もなくならない。

なぜなんだ。

欲望からしあわせは産まれてこない。

なぜなんだ。

汚れなければ石けんはいらない。
罪がなければ許しはいらない。

ただくつろげる場所が欲しいと願ってはいけないか?
ただ存在を確かめ合える相手が欲しいと思ってはいけないか?

嘆きの壁に虚しくこだまする飢えの叫び。
本物の愛に出会いたい。
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by satsuki_ok | 2006-05-18 21:41 | パンの耳