カテゴリ:芸術?( 24 )

先日、何気なく店頭で手に取った。
簡単なセンテンスに別れてるので、時間を見つけて読むのには最適だと思った。
「頭がいい人、悪い人の話し方」ほんの紹介(笑)
客観的に自分自身を観察することは、誰でも非常に難しいものだ。誰でも自分はかわいいからね。(笑)
だから、他人が書いた主観本?を読んで、自分を客観視できないだろうかと、考えてみたりするのだね。
自己分析しかり、占いしかり。。。
ぼく自身、自分で自分のことが一番わかっていないと誰からも指摘を受けやすいので、客観視できる素材を手当たり次第に試してみたくなる。
ん~、共感できるフシもあるが、そうでないコトもあるような。。。
誰しもこころの中に両極端な要素は持っているものである以上、要はバランスの問題だろうなあ、とぼくは想った。
しかるに、これは通常の社会生活における場合であり、コト恋愛に関しては、収まりきらないものだろう。

特にぼく自身に翻って考えると、恋愛だけは特にバランスなんてものはない(苦笑)
崩れっぱなしである(--;
ある意味では、その「崩れ」そのものが、恋愛であると言っても過言ではないのだろうな。

双方向性でない限り恋愛は成り立たないというが、「片想い」という存在を恋愛の範疇にくわえるならば、それも立派な「恋愛」であると言える。
以前にも考えたのだけれども、「友情」には片想いはない。
断言して言えることだろう。古今東西、友情の片想いはぼくが無知なのか聞いた試しがない。
双方向である必要性は、恋愛に関してだけは定義はないのだね。
重ねて言うが、「友情」には片想いはない。

ぼくは頭が悪いので、友情で片想いはできないし、片想いである以上友情は感じない。
友情を感じれば、恋愛ではない。
そういうしごく単純な構造の持ち主なんだろうな。。。

なんとなく、そんなことぼんやり想ってみた。
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by satsuki_ok | 2005-10-01 00:17 | 芸術?

ダフニスとクロエ

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ミレーの作品の中では、珍しい感じさえする。
農民と最下層の生活、信仰を支えた画家のイメージが強いせいだろうか。
この物語が三島由紀夫の「潮騒」の元になったというのも、なんだか妙なつながりを感じてしまう。おそらく、名画や古典のすばらしさは、実際とてもシンプルなテーマだからではないだろうか。
今の世の中のように、個性という名のもとで、イメージの世界が乱雑に敗退して、欲望だけがふくれあがった時代ではなかったからかも知れない。
イメージだけではなく、その奥に確かな人生の息吹が感じられるからかも知れない。
浅くないのだね、きっと。

ダフニスとクロエの物語が描かれたのが、2世紀頃だとすれば、21世紀の現代まで、語り継がれていること自体が、ほとんど奇跡的なものだと思える。
時代とともに廃れる、ディスポーサブルな「言葉」や「イマジネーション」。。。
リサイクルされることなど考えにくい。
流行というものが、いかに短命で流動的でうわっつらな世界か考えさせられる。

否定しているわけではない。
それらもすべからく必要なものだと想うから。
しかし、時には、こうして「本物」に触れる。
そういう時間もやはり持ち続けていきたい。

ダフニスとクロエに話を戻そう。
この二人の恋物語は、おそらく誰しもが恋をしたときの状態であると言えるだろう。
普遍的な恋の物語なのだ。
どんなシチュエーションにしろ、恋をした時に夢みるイマジネーションの全てがここにつまっている。

恋愛映画なぞ、自らすすんで見たことはないぼくだった。
昨年遅まきながら、本気の恋をしたぼくは、生まれて初めて「恋愛」について、真剣に考えた。
レベル5のタイフーン。。。
ぼくは今、災害復旧工事中。。。(苦笑)
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by satsuki_ok | 2005-09-24 20:52 | 芸術?

大原孫三郎と石井十次

Laudate~女史パウロ会~

このなかのシスターのお薦めというコンテンツの中に、石井十次の話と大原孫三郎の話があった。
放蕩息子の大原の生涯を変えてしまうほどの劇的な出会い。それが十次を通してキリスト教の考えに触れることであった。
興味があって暇のある人は検索してみると、かなり楽しめるんじゃないかな?孫三郎という人はキャパが限りなくでかいので、その偉業を探索するだけでも、相当な労力がいるけれど(苦笑)
西洋美術館として日本で最初に設立された大原美術館をはじめ、民芸館なんかも見に出かけるのが好きだったし、孫三郎という人が著名な経済人であったことも知ってはいたけれど、この人の背景まではあまり知らなかった。
「わしの目は10年先が見える」という書籍も買って読んでみたいと思ったほどだなあ。(笑)

同じコンテンツの中には、「マザーテレサ」の映画(オリビアハッセー主演)のことも記述があった。マザーテレサに生きているうちに会いたかったよなあ。。。20世紀で一番美しい人だったと、ぼくも思う。

女性であっても、男性であっても、その人に与えられてる天命を全うすると言うことは、理念や概念ではなく、やはり「心」の動きに発端があるんだね。こころの中に湧き上がる感銘を、あるいは憤慨を、見過ごすことなく、真摯に受けとめて、実践していく。。。(このあたりが凡人のぼくとは違うんだな。)

一つのことを極めていくと、他の極めた人たちのレベルと共通していくものがある。共鳴し、共感するコトにつながっていくとそう思っているんだけどね。
ぼくはぼくの世界の中でやっぱりできる限りのことをしていこう。
どうせ自己満足なら、批判するより実践したい。
そんなことを考えたな。
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by satsuki_ok | 2005-09-11 16:05 | 芸術?

境界例と自己愛

境界例と自己愛からの回復

自己愛から受けるイメージについて検索中
精神分析のHPを見つけた。

こうした分析の類の文章を読むと、どれもコレも自分に該当してしまうと考えてしまう人がいる。
ちょうど、医者の卵の中に、疾患を勉強中に、すべてを自分のみに置き換えて考えてしまうために、勉強中の疾患に自分自身がなっているのではないか?と不安を覚える人がいるのと同じだろう。

ぼくは誰の心の中にも、多かれ少なかれ歪みは生じているものだとおもう。
そのすべてを病気として考えることには、いささか疑問があるのだ。
それはもしかしたら「個性」の範疇かも知れない。

病気であるか、健康であるかという点について、考えるときに果たしてどういうイメージを持つのだろう?
「病気である」人は、「健康である」こととは違うから排除すべきだと考える人は、常識的な人であるならば、まずいないだろう。
しかしながら、「違う」という認識を、双方が保つことは非常に重要であると思われる。
違いを認めてこそ、そこに生じるであろう様々な「不都合」が理解し合えるのではないだろうか?

ぼく自身の幼い頃の体験が、少なからず、今の自分自身の精神状態を形作っていることは否めない。だからといって、それだけにとどまっているとも、ぼく自身は想わない。(他人にはどう映っているか疑問だけど)

いつもおもうのだけど、人を判断するときに、自分自身を誰でも基準にもってくるものだ。
したがって、その自分という基準がはっきりしていなければ、他人を「正しく」理解することもできない。

バネが一方向にねじ曲がっているものを、急激に強い力でひっぱって矯正することはできない。
自然の流れというものの中で、たおやかに過ごすことにより、いつの間にか「まっすぐ」になることがあるかも知れない。
バネのまま生きることもまた一つの選択肢である。

ぼく自身に翻って考えるに、ぼくの中の「妄想」がある意味では「自己愛」であると言えるだろう。
ここはネットという世界である以上、すべてにおいてここに書かれていることが真実であるという保証も、ウソであるという証拠もまたないのである。
何をもって真実と感じ、何をもって虚構だと信じていくのだろう。
ぼく自身が「感じた心」
それだけが真実であり、ぼくにとっての愛である。

他人の思惑というものは、あくまでもその人の考えである。
自立あるいは自律する精神。

混沌とさせてはならない。
ミソもクソも一緒にはならない。
時折感じる「整理のできていない感情」に、「理性的な判断」は下せない。

この記事を読んで、考えたことをメモした。
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by satsuki_ok | 2005-09-07 00:04 | 芸術?

写真家の視点

動物写真家 佐野高太郎

野生動物の写真の中でも、この人の写真はとてもあたたかい。拍動を感じる。被写体に対して同調する姿勢を感じるからだろうか。
「狙った」感じを受けない自然体なところがあって、それだからこそ「深み」を感じるのかも知れない。なぜか、この人の写真を見ていると、自分が見ているのではなくて、被写体に観察されているような気さえしてしまう。それほど、彼の気持ちは被写体と同化してしまっているのだろう。

言葉も写真も切り取りの作業。

こころの中に受け入れなければ、生まれてこない。

でもね、何でもかんでも受け入れるつもりもぼくにはない。
美しいものを美しいと感じるために、レンズを曇らせたくないんだ。

誰もがみんな取捨択一しながら生きている。
何を捨て、何を取るかは人それぞれだ。

獣の方がよほど神様に素直である。
ぼくは昨年一年間を通して「恋」をした。
これほど自分をさらけ出したことは今まで一度もない。
逆に言うならば、さらけ出さないでも生きていけるということでもあり、恋をしなくても死にはしないし、仕事も食事もするのである。つまり、そこには「性別のない人生」があるだけである。
ぼくはそうして生きてきたのだから、それでいいんだろうな。

確かに味気ない生活ではある。
しかし、一人くらいそんな人間がいてもいいのかもしれない。
ぼくは自然体で生きていくしかできないのだから。
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by satsuki_ok | 2005-08-20 20:21 | 芸術?
三浦綾子から学ぶ罪と許しの心理学

カルトやマインドコントロールについて勉強するつもりで、ネットを検索していたら、以前アダルトチルドレンについて、ききかじった時と同じ場所にたどり着いた。

私自身は、三浦綾子さんの「氷点」について、読後あまりよい印象を持った覚えがない。
「道ありき」についてもまた同様であった。
そのほかにも数点読んだ記憶があるが、人気ある作家な理由が、今ひとつのみ込めなかった覚えがある。
比較対照としてはいけないのだろうけれど、曽野綾子さんの方が、むしろ私は読みやすいと感じた覚えがある。

そんなことはともかく。。。

私が今回体験した「恋」は、いくつかのマインドコントロールの手法を用いて、組み上げられた感が否めない。
それは意識化であったか、無意識かであったかは、この際大きな問題ではない。
なぜなら、それに敢えて、いや、むしろ喜んで自分が埋没していったことが問題なのである。

マインドコントロールに似たような言葉で、セルフコントロールというのがある。
他者から与えられる「マインド」と、自分で作り上げる「セルフ」の違い。
どちらも自分自身のこころの中に働くものであるが、誤って混同してはいけない。
自我は複雑な構造をしており、その構造の解明は、過去の体験のみならず、現在の感情的要因も含まれており、それ自体を許容することは一筋縄ではいかないものだ。

理論上いろんな仮説を想うままに立てることのできる「ネット」というものは、
そういった意味では、非常に「カルト」、「マインドコントロール」するに最適の条件であろうと思われる。
このような環境下では、よほどのコトがない限り、人はその魅力にあがらうコトは難しいのかもしれない。

今回紹介しているサイト内では、多岐にわたるテーマで、心理学的アプローチがされている。
興味ある人は一読を勧める。
ある意味では、恋愛は一種のマインドコントロールとセルフコントロールの絶好の場所である。
性的なコトを含めて、本能から宗教の世界まで、すべてを網羅する人の感情は、これ以外には私はありえないと想っているからである。

それゆえ、「煩悩是道場」なのかも知れないと私は思う。

・・・・・・・・なんてね(笑)

仕事行ってきます!
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by satsuki_ok | 2005-05-28 04:48 | 芸術?

白鯨

白鯨

気分転換にクジラがみたくなった。
せっかくネットがあるのだから、この際「白鯨」を探してみようとおもった。
中学時代にさっと読んだだけだったのに、名前だけは妙に印象に残る作品だった(笑)
今となっては、「老人と海」と、どこかがかぶってしまうほど、あやふやな記憶だ(苦笑)
そこで、簡単に想い出す?ために、上記のサイトを見つけた。

こうしてみると、星の王子様にしろ、アルケミストにしろ、「人生は旅である」と、古今東西で人間の感性は同じであるのだね。

そこで、ぼくは、ある時ふっと想ったのだ。。
それは中学時代にやたらとフィクション、ノンフィクションジャンルにこだわらずに様々な本を読みあさっていた頃のことだ。

こうして、肌の色も言葉も育った環境も違うのに、
なぜ、同じコトを想うのか。。。
なぜ、同じように感じたりするのだろう。。。
そして、土地土地に応じた神の存在が、ぼくにはとても不思議だった。

人間は人間として、一つの生物の種類である。
そうすると、それに共通の神様がいないのは、おかしいと想ったんだ。
すべての人に「共通する」神の存在がなければならない。
また、そうでなければ、神ではない。
ぼくは漠然とそんなことを感じていた。

それゆえ、ぼくの中では「唯一の神」であると言い切るキリスト教だったのではないかと想う。
知性的なアプローチをしてみても、ここへ到達するようにぼくの論理は展開される。
もちろん、洗礼を受けたり信仰を選んだ時は、それだけではなかったけれども。。。

ぼくは決して、聖なる人間でもなければ、ごく普通のありふれた感覚の持ち主。
悲しみもすれば、悔しくも想うし、憎しみすら覚えることもある。
そんなぼくが「くつろげる」数少ない場所。

ぼくは彼女だけがそばにいる時だけ、その安らぎを感じることができていた。
それはただぼくの幻想に過ぎなかったわけだけど。。。
こうして、一人きりでPCに向かう時も、空を見つめる時も、ぼくにはいまでも彼女が生きている。
そんな時、まるで信仰のようだと、いつも想う。

もうきっと二度と出会えることはないのだろうな。。

そんなことを考えながら、ぼくは白鯨を見つめてた。。。
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by satsuki_ok | 2005-05-20 21:36 | 芸術?
よだかの星
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by satsuki_ok | 2005-05-14 23:57 | 芸術?
HERMANN HESSE PAGE JAPAN
TRAUM VON DIR


Oft wenn ich zu Bette geh
Und die Augen fallen mir zu,
Mit nassem Finger klopft am Sims der Regen,
Da kommst mir du,
Schlankes z?gerndes Reh,
Aus Trauml?ndern still entgegen.
Wir gehen, oder schwimmen, oder schweben
Durch Wald, Str?me, plauderndes Tiergev?lk,
Durch Sterne und regenbogenfarbenes Gew?lk,
Ich und du, unterwegs nach dem Heimatland,
Von tausend Gestalten und Bildern der Welt umgeben,
Bald im Schnee, bald in Sonnenflammen,
Bald getrennt, bald nah zusammen
Und Hand in Hand.

Am Morgen ist der Traum entflossen,
Tief sank er in mich hinein,
Ist in mir und doch nicht mein,
Schweigend beginn ich den Tag, unfroh und verdrossen,
Aber irgendwo gehn wir auch dann,
Ich und du, von Bilderspielen umgeben,
Fragend durch ein verzaubertes Leben,
Das uns t?uschen und doch nicht betr?gen kann.




                                  

おまえの夢


幾度となく、ベッドに伏して
まぶたが重くたれ
雨つぶが濡れた指で軒をたたいて
そうしておまえがやってくる
おずおずと、しなやかなかもしかよ
夢の国からしずしずとあゆみきて
わたしたちふたり、そぞろあるき、泳ぎ、ただよう
森を、流れを、ささやきかわすけものの群れを
星々のあいだを、虹色の雲のなかを
わたしとおまえ、ふるさとをめざしながら
世界に満ちる幾千もの形象にとりかこまれて
雪のなかに、太陽の炎のなかに
離れ離れになり、近々とより添い
手に手をとり合って

朝になれば夢は去り
深々とわたしのなかに沈んでゆく
わたしのなかにあり、わたしのものではない夢よ
黙してわたしは一日を始める、楽しまず、心はわずらい
それでもまたいずこにか、ふたりしてゆこう
わたしとおまえ、ものたちの戯れにとりかこまれ
問いかわしつつ、魔法のいのちのなかを
それは夢のまやかし、そして夢の真実


( 島途健一 訳 )
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by satsuki_ok | 2005-04-19 02:49 | 芸術?
ぼくの母は、実は三島由紀夫のファンである。
人は嫌いらしいが作品が好きなんだそうだ。
嫌いな理由
「一人であんな派手に自害するくらいなら、悪徳政治家の一人でも殺してからいけ!」
というのが母の意見であり、それはまた実に母らしい意見だ。(笑)

三島の小説は観念的と言われている。
しかし、日記を見る限りでは、実体験に基づく記述が多いとのことだった。
ある体験に基づいて、創作する。
文学というのはある程度そういう要素を含むものなのだろうなあ。

ぼくの詩作も最近はそういう傾向が強くなってきている。
こころのままに書き写すということから、少し創作が入るようになってきた。
ぼくの中での凝縮した想いは、ある峠を越えると、一気に青く澄んでしまう。

子どもの頃からいろんな理不尽な痛み
恐怖、嫉妬、ねたみ、軽蔑等々体験してくると
一つ一つにこだわっていられないのだね。
しかし、それを振り切るためには、相当なエネルギーがいるのもまた事実。
それをさらに表面に出さないようにしながら、内側のエネルギーを放射するために、いろんなエネルギーに変換するクセがついている。

彼女に出会って、ぼくはそのエネルギーの変換先を見つけた。
きっとぼくの根本に巣くっているものに、触れてしまうのは他の人では無理だったんだろうな。
手にはいるか入らないかでその価値は決まらない。

結局のところ、そういうことに落ち着くのだね、ぼくは。(苦笑)
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by satsuki_ok | 2005-04-03 16:20 | 芸術?