Leben


by satsuki_ok

カテゴリ:ジジのひとりごと( 324 )

ちいさな世界

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ぼくが知ってる世界は
半径数千キロメートルに満たない
ちいさな列島の中で
そのまた半径数キロメートルの
生活圏の中で
毎日言葉を交わす人の数も
多くて数名程度の田舎町

そのまた小さな田舎町の中で
ぼくが暮らす家は
航空写真で見たら
小人の住むようなミニチュアハウス
終の棲家をはやく手に入れたくて
無理して買った中古住宅

庭の木は
一本、一本
小さな苗木を買ってきては
大きく育ってくれるように
成長した姿を夢みながら
穴を掘っては植えていった
時には
ちいさな野鳥が落としていった
タネと肥料で見る見るうちに大きくなった
きれいな実のなる木も数十本

DIYの店先で
枯れかかった花々を見つけては
譲り受けては庭に植え
生き吹き返すまで
そっと見守る毎日の暮らし

いつのまにかネコが
いつのまにかイヌが
家族のように暮らし始めていた

そんなちっぽけな世界の中で
さらに小さな箱の中から
大きな大きな世界が広がっていた
そこに広がる「ことば」と「画像」
誇張されたTVよりも
ナマの社会がそこにあった

ぼくは毎晩旅に出る
ぼくは毎晩美術を鑑賞し
ぼくは毎晩ライブに出かけ
ぼくは毎晩ショッピングし
そして時にはすれ違い
たまに寄り添ってみたりしながら
その社会を楽しんでいる

ぼくにとって
普段したくてもできない世界が
そこには溢れており
ぼくにとって
普段出会うことも
知ることすらもないような
そんな世界が広がっている

ぼくがことさらに純情なわけでもなく
ぼくが特別に不器用なわけでもなく
違う世界を生きてる以上
理解し合うのは難しくて当たり前なんだ

知り合うって
きっとそういうことをいうんだ
互いに話し合わないなら
それは関係ではないから
植物ですら応える意志があるというのに
ぼくには理解できない世界もあると言うことだ

知識と知恵は反比例するのかもしれない
道具の発達が思考力を低下させる
矢継ぎ早の情報で感受性が鈍化する
そんな世界を生きてるんだ

フリーになったのではなく
人は文明で限りなく窮屈になったのかもしれない
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by satsuki_ok | 2005-12-18 20:12 | ジジのひとりごと

私が飲みに行く理由

込み入った事になりそうだった会議が、
思いの外はやく引けた帰り道。
ビルの谷間から、不似合いな大きな丸い月が覗いていた。
いつもなら、駅へ向かう大通りをまっすぐに、
よそ見もせずに歩いていくところだが、
今夜ばかりは、賑やかな大通りが煩わしく感じられ、
ゆっくりと月を眺めて歩きたかった。

大通りから一筋入った裏通りは、
夕方のこんな時間ですら人影もまばらで、
週末とは思えないほどだ。

道路に溢れ出るほどの観葉植物に紛れ込むかのように
ひっそりとその店はあった。
重厚な作りの木製のドアには、
金色の取っ手が月明かりに映しだされていた。
吸い込まれるように、私はその店のドアを開けた。

センスのいい生花がいけてあり、店内は控えめにジャズが流れていた。
落ち着いた店内。
カウンターに腰を下ろすと、ほどなく店のマスターらしき人物が現れた。
店内の随所に見られるさりげない暖かさが
彼の人生観そのものであるかのような
やわらかな笑顔がそこにあった。

コーヒーを注文しようとして、
ふとこのマスターのつくるカクテルを飲んでみたいと想った。
私は、いつも決まって初めての店でオーダーするように
「オススメのカクテルを一杯下さい。」と言った。
「かしこまりました」
無駄な会話のない感じも、私にはとても居心地がよかった。

静かに流れる音楽と、彼の腕から降り出される音が
耳にとても心地いい。
今日の会議の内容を少しばかり反芻しながら
タバコに火をつけた。
くゆる紫煙に目を細めた時、
控えめな色合いのグラスが、そっと目の前におかれた。

onからoffへの移行。。。

一口飲み終える頃、マスターがぽつりと話しかけてくる。
「いかがですか?」
「ああ。。この感じとてもいいね」
「それはよかった」と笑顔のマスター。
「月に誘われて、この店に来たかいがあったよ。」
と私もにっこりと微笑んだ。

ほんの少しだけ、日常から解放されて
ほんの少しだけ、自由な時間
私が飲みに行く理由
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by satsuki_ok | 2005-12-16 20:34 | ジジのひとりごと

モラルハラスメント

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初めて聞いたモラルハラスメントという言葉。
モラルハラスメント
衝撃を受けた。
以前、「援助の心理学」・「医療の心」工藤信夫 著を勧められて読んだコトがあるけれど、ちょうどその時と同じような衝撃であった。

人と人とが生活していれば、「社会」というものができあがる。
それはリアルの世界においても、ネットにおいても同様に「社会生活」が営まれる事を言っている。自分以外の他者と接触がある以上、そこにはいかなる場合においても「個々の関係」が築かれることになる。
自分以外の他者とつきあう場合、誰しも自分を基準に考え、次に自らの体験を考え、それらの総合的な自分自身の持っている知識の範囲内で相手を認識するものだ。
ネット上では、言葉以外に相手を知る情報がないために、誤認識(あるいは妄想、思いこみ)が発生しやすい状況下である。

しかし、他者を分析する以上に、自分自身のことを省みて認識するという能力が、すべからくこの手の加害者には乏しい。
この点が恐ろしいところである。
そういう人には何を言っても無駄なので、放置するのも一つの手だろう。
しかしながら、放置できないものもある。
イジメの問題を考えるときもそうだけれども、私は「何もしない」ということは、加害者とイコールだと考えている。傍観者は被害者ではない。傍観者は加害者である。
被害者にとって、ある意味では、加害者以上に加害者であるものだとおもうのだ。

社会というものは一対一ではできあがらない。
そこは複数の人が関わる状況下である。
ということは、望む望まないにかかわらず、その状況下に巻き込まれた場合、真の中立的な立場というものは、加害者、被害者の双方と関わりを持たねばならない。
しかしながら、多くの場合、加害者側とのみ接触持つことにより、被害者はさらに追いつめられていくとするならば、傍観者は立派な加害者となるのである。

クモの糸、アリ地獄。。。

そういった存在もこの世界に日常的にあることを知ることも必要である。
この世の中は、善だけでは成り立っていない。

改めてこういった問題を考えてみることも大切なことだと想った。
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by satsuki_ok | 2005-10-06 20:49 | ジジのひとりごと
かなり複雑な要素をはらんでいる
ケースバイケースであることがおおく、一定の定義に位置づけるのは難しい。
さらにいうなれば、通常の恋愛においても、
恋というものが一種の狂気をはらんでいるためにその区別が困難であることである。

そのままの相手を受け入れて、そのままの自分を受け入れることが処方箋という。

スタンスの問題だろう。
どの位置でどのように接するべきか。

所詮は別個体である以上、誰しも親兄弟といえども
すべてを理解することなど不可能なことだ。

最近の傾向として、すべてを病気と誤診する例が見受けられる。

野菜の一つ一つが必ずしもまっすぐでない。
必ずしもつるんとしていない。
同じように播かれたものでも、同じようには育たない。

そのことが即病気と考えるのは間違いであるとぼくは思う。

違いを認めるということは、ある程度のdistanceが必要だとぼくは思うのだ。

自分で自分の目を見ることができないのと同じように、
それは鏡に映すなどして、離れてみないとわからないことがあるとおもう。

少し落ち着いたなら、ぼくは散策して現実を見つめてみようと想っている。
そこで本当にはっきりとした事実を知ること、これも大切なことかもしれない。
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by satsuki_ok | 2005-01-01 13:48 | ジジのひとりごと