日課というものがあると、一日のリセットをしやすい。
朝食前に祈りの時間をもち、就寝前に日記を万年筆で書く。
毎日同じ行動でも内容は違ってくる。
日々の暮らしは、この繰り返し。
あまりに規則正しい生活だと、彼女から「刑務所みたい」と言われた。
失礼なやつだな(笑)
「いったい何に囚われているんだ?」と尋ねたら、「わかりやすい例えかと思っただけ」という。
他にいくらでもあるだろうに…。
囚われる=罪、罰なイメージ。
仮にもクリスチャンな自分。
主の血により贖われ続けている。
十字架の傷が自分のために流されたと心の底から信じられた時、その価値の尊さにひれ伏す思いがした。
自分の人生を十字架にかけるのだという真意もはじめて理解出来た気がした。
言葉は理解出来ていたけれど、腑に落ちたのはつい最近のことだ。
自分が許されているように、クリスチャンは皆許されている。世界中誰でも。
主のご計画の中で、自分も生かされているなら、主がきっと彼女に会わせてくれたように、ベストなタイミングで有無を言わさず用いて下さると信じている。
世界中のクリスチャンを通して、主のご計画がなりますように。
ひとつの種類だけで植物も動物もできていないように、誰1人同じ人生を歩まない。
それでも地球の一員であるように、一人一人に用意された主の御計画が全うされますように。
心の板に消えない滲まないインクで主の御手により万年筆で書き記されたい。
天の御国で主と思い出を分かち合えたらいいな。
心のどこも痛まない穏やかな主の臨在。これが平安というものなんだなぁとしみじみ感謝している。
とりとめもなく、いつものとおり書き綴ってしまった。
主の平安がありますように。